悲しい気持ちになったで、愛犬ペロと一緒に過ごした、子供の頃の思い出話をしたいと思います。
昔、実家ではペロという名の中型犬を飼っていました。
色は黒をベースに、口と足先と胸の部分に白が入る感じの、優しい顔だちの黒柴でした。
ペロの名前の由来は「よく私の顔をペロペロ舐めるからペロに決定!」と、当時幼稚園児だった私が命名したのです。ナイスなネーミングでしょ。
ぺロの事を思い出すと、懐かしさと同時に寂しさが込み上げます。その何ともいえない気持ちをここに書き留めたいと思います。
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ペロは捨て犬でした。
当時住んでた街で父と兄と私の3人で散歩していた時の事です。栗の木に繋がれて悲しい感じで必死に吠えていペロを見つけ、可哀想と思った父が、ロープを解き木から離してあげたのです。
ペロは大変喜び、私達の後を付いて来ました。父も兄も私も動物好きなので、その時は可愛がりました。しかし、父が急に顔色を変え厳しい口調で「家では飼えないから追い払って帰ろう。」と言うではないですか。
私は嫌がりました。
「家で飼おうよ!」と何度もお願いしました。
父は頑なに受け入れず、記憶に無いのですが聞いた話では私は大泣きしながら帰ったみたいで、その晩はご飯も食べず泣き疲れて寝てしまいました。
翌朝起きてみると、庭に何か気配を感じました。「もしかして?」と淡い期待を抱きながそっと庭を覗いてみると、何のために置いてあったか知りませんがU字溝(下水溝)を裏返したものを犬小屋代わりに、ペロがちゃっかり住み着いていたのです。
丸まった尻尾をフリフリさせ、嬉しそうに居座るペロの姿が未だに忘れられません。
私は大喜びで、父や兄や母を説得しました。「この犬を飼おうよ!何でもするからさ!」と必死に思いを訴えた気がします。
私の説得が効いたのか、父は条件を出してきました。
犬を飼いたければ、世話は全て私がやること。朝晩の散歩も必ずやる。餌もやる。という条件を出してきたのです。
私は二つ返事でやるといい。その日からペロは我が家の一員になりました。末っ子の私に妹(犬)が出来て大変上機嫌でした。
余談ですが、私が大きくなってから父にこの時の話をしたところ、元々犬を飼う気だったそうです。
ただ、生き物を飼う責任感を植えつけるために、敢て一度駄目だと言ったそうです。それを聞いた時は汚い親だと思いましたが、子を持つ身となった今では納得の判断でした。
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ペロの世話は大変でした。当時のペロは多分1歳くらいだったと思うのですが、足は速く多少力が強かったかもしれません。なので散歩をする時は散歩紐を二つ使い、一つは私の胴に巻きつけ、もう一つで私とペロを繋ぎ、ペロに引っ張られるよう毎日散歩をしたものです。
ぐいぐいペロに引っ張られながら田んぼ道を走るのは爽快で、疾走感を味わいながら朝晩楽しく散歩をしていました。
ペロは私の妹ですが、一番の仲良しで心の支えでもありました。兄に苛められると、ペロに八つ当たりをしたり。また、何か嫌な事があると泣きながらよくペロに相談したものです。
相談する時は犬小屋の中でした。当時体が物凄く柔らかったので、犬小屋に無理ぐりペロと一緒に入ることが出来たのです。
ペロは狭い犬小屋で、「く~ん・・・」と迷惑そうしていましたが、私の愚痴を良く聞き流してくれてました。そして涙を美味しそうになめるのです。こんな調子で私はペロに依存していた部分があったのです。
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ペロは大変優しい子であまり吠えません。近所の小学生にイタズラされても困った顔をしているだけでした。唯一吠える相手が、たまに夜訪問する宗教関係の人で、多分母親が内心その人を嫌いだったのを、ペロが認識して吠えてたと思うと、ペロは大変賢い子だったのでした。
私が小学校3年くらいにペロは妊娠しました。私は妹(犬)が妊娠したことに驚きましたが、子犬はすべて可愛かったです。いつも私が子犬を弄くりまわしていると、ペロも乳臭い子犬を守ろうとしていました。毛玉のような子犬達が走り回れる頃には、ほとんどの子犬を養子に出してしまいまいた。ペロはわが子がいない事を悲しがり、夜中一心不乱に泣いてました。可愛そうなことをしたと思いますが、全部育てるのは流石に無理でした。
ペロは毎年子供を生みました。でもいつの間にか子犬達はいないのです。理由は・・・ご想像にお任せします。
泣き叫ぶ可哀想なペロ。
ペロも何度目かの妊娠時には犬小屋を抜け出し、家の軒下に穴を掘り。子を軒下で育て始めてました。大人しい妹(犬)も母となると強いのです。だが結局は、悲しい運命をたどりました。
当時はソレは仕方が無い事のように思ってましたが、今にして思うとなぜせめて妊娠しないように手術をしなかったのかと思います。親が無知だったのか、考えが足りなかったからなのか。
今更年老いた親を責めても仕方が無い事ですが、生き物を育てるのなら、責任は果たすべきだなと今なら強く認識しています。
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私は大人になり、就職して実家を出て都会で生活を始めました。実家のペロはすっかりおばあちゃん犬で大人しい犬だったし、ど田舎だったので鎖もつけず放し飼いになってました。時折近所を巡回し、おやつを貰ってる話を聞いたりもしました。
おばあちゃん犬になると、たまにボケたのか父親が仕事に向かう車を突然追いかけ始めたそうです。流石に車に追いつきはしませんでしたが、その後1週間くらい帰ってこなく、保健所とか色々問い合わせをしている間に、足を引きずりながら帰ってきたそうです。
その頃はちょっとボケちゃってたのですかね。でも帰ってくると嬉しそうに尻尾を振っていたそうです。
たしかペロが17歳ぐらいの頃、結構長寿でしたが何かしらの病気で死んだそうです。
私の実家は北国で寒いので、冬場は外の犬小屋ではなく、風雪が防げる玄関で飼っていたそうですが、足腰が立たなくなり、糞尿を垂れ流してそうです。
母は流石に殺処分にしようと父に言ったそうです。しかし、犬の中絶すら決意ができない父は病院にはつれては行くが、殺処分までは踏み切らなかったようです。
そうこうしてる間にペロは両親が迷ってる内に息を引き取ったそうです。
実家から遠く離れた私には、正直その場面を一切見ておりません。ペロの事を思い出してもいい思い出ばかりですが、ペロの事を思い出すと見てもいないペロの辛い様子を想像して凹みます。
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なんか悲しい話になっちゃいましたね。
楽しい話を想像された方、色々すみません・・・・
この記事は少し前に別な目的で書いたもので、書いてて辛くなったので公開しない予定のてやつでした。
なぜ、今更公開したのか?
何でしょうかね。オチの無い話をしたかったからかな?
意味は適当に汲み取って下さい。
結論の無い話でも、何か響く事もあると思いますから。