教えて!ホルスタインおじさん!

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あれ?ホルスタインおじさんがモゾモゾしているぞ?ちょっと様子を見に行ってみよう!

【書評】『マイパブリックとグランドレベル』は発想の宝庫

道端で無料のコーヒーが振る舞われてたら、アナタはどうしますか?
受け取るか受け取らないかは、私は状況によって多分判断が異なると思います。
企業のロゴ入りのスタッフジャンバーを着てたら「ああ、新製品の宣伝かな?」と受け取るだろうし、スーツ姿でやたらにこやかに配ってたら「宗教かねずみ講の勧誘?」と警戒し多分スルーするでしょう。
では、簡易な屋台のような店構えで、金髪のキレイなおねいさんがコーヒーを無料で配ってたらどうでしょうか?
 
さて、一体何の話かというと、最近『マイパブリックとグランドレベル』という本を読んだのですが、先程の下りは著者:田中元子さんが道端でコーヒーを無料で配っている姿です。 

マイパブリックとグランドレベル ─今日からはじめるまちづくり

なぜこの本を手に取ったかと言うと「喫茶ランドリー 〜〜」という記事を見かけ、

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コインランドリーと自由度の高い喫茶店を融合させた店を地上1階(グランドレベル)で展開した時に、住民が思い思いに自由にお店を使ってる様が面白く、この「喫茶ランドリー」を運営する株式会社グランドレベルと著者:田中元子さんに興味を覚えたからです。

 
この本はマイパブリック編グランドレベル編に分かれて構成されていて、この2つのワードに私は共に馴染みが無い。
 
という訳で本の内容を私の主観が目一杯入った状態で申し訳無いのですがざっくり要約してみました。
※作者および関係者の皆様。この要約が適切で無いと思いましたら連絡をください。修正します。

マイパブリック編

マイパブリック直訳すると『私の公共』何か公共とか言われると堅苦しく感じるけど、これは決して公共物を私的利用する話ではなく、個人が提供する公共という意味のようだ。
 

マイパブリック編のざっくり要約

・事務所の空きスペースにバーカウンター作ってゲストをもてなしたい。
・無料でお酒を振る舞う事が楽しくなってきた。
・街の路上で色んな人にふるまいたい。
・野点以上屋台未満のパーソナル屋台作成。
・コーヒーを路上でふるまう快楽。
・趣味としての社会貢献を自発的(能動的)にやる楽しさ。
・広がるマイパブリックの輪。
 
著者:田中元子さんは(いい意味で)好奇心モンスターのようで、突拍子もない発想から妄想を膨らませ、試行錯誤の末「道端でコーヒーをふるまう」という思いもよらないところに着地を見せます。
読んでて「そこでなんでその発想に行くの!」とツッコミを入れながら読めるので、前半はお話として楽しく読めますね。
後半は趣味の定義を深掘りして、献身的な社会貢献とせず趣味としてのカジュアルな社会貢献の楽しさ教えてくれました。
 

グランドレベル編

グランドレベルは地上1階の事で、地上=グランドレベルでこそマイパブリックが最も効果的に実現出来る場だそうです。
普段我々が目にする路上って、基本的に公共の場ですよね。
目に飛び込んでくる風景が無機質で寂しいと、気分が盛り上がりません。
そんなグランドレベルをマイパブリックしてしまえば、世の中楽しくなってくるんじゃない!という流れで話は進みます。
 

グランドレベル編のざっくり要約

・グランドレベルとは。
・歴史から紐解くグランドレベル。
・現代のグランドレベルの良い例。
・良いグランドレベルと悪いグランドレベル。
・効果的なグランドレベルの作り方。
・グランドレベルをマイパブリックにするアイディア。
グランドレベルで皆がマイパブリック(公共のおもてなし)すると、見た目的にも活性化され町が豊かになるというお話です。
しかし、テーマが町単位なのでわりと構想段階という感じでしたね。グランドレベルの考えが日本で定着される事を願います。
 

感想

とりあえず一通り読んでの感想ですが、一言で表すと「読めばシナプスが弾ける」です。
読み進める度に今まで思いもしなかった事を新たに発見でき、そして個人的な妄想を誘う、そんな本でした。
私自身が最近新規事業のネタの収集として「サービスとはなんぞや?」という思いから手にした本のため、少々タイムリー過ぎた内容だからなのかもしれまんせが、サービスを抜きにしても発想力について色々考えさせられましたね。
まさに読みながら一人グループワークをやってる感じです。
 
一番気にになった内容が能動機会と受動機会の話です。
現在、わたしたちは自分をとまくどれだけのことを、能動的なことと言えるだろうか。能動性を発揮する機会というものに、どれだけ巡りあっているだろうか。趣味との邂逅によって、わたしは能動的に行動することが、いかにひとをいきいきしわわせにさせるか、思い知ってしまった
・・・中略・・・
今現在、世間で「かわいい」と言われてるものは何かを、情報としてしらされてしまう。つまり「かわいい服が欲しい」という欲望は、自分がわかいいと思う服を、自分から求める能動的なものに見えて、実は受動的な性質に覆われている、と考えることも出来る。
・・・中略・・・
世界中でモノが生産され続け、人々にものを欲しがってもらうための、あらゆる情報が押し寄せてくる。でももう限界だと思う。わたしたちは、モノに飽きているのではない、受動機会に飽きているからだ。
引用元:マイパブリックとグランドレベル P67

 コレは本当にそう思える内容でした。ある程度年を取ってくると、手軽に買えるモノでわざわざ買ってまで欲しいモノが無いのだ。

いま一番欲しいといえるモノはパッシブハウス(高気密高断熱な注文住宅)くらいで、それ以外のモノは性能さえ満たせば何でもいいという感覚です。
そしてコレが曲者でなかなか扱ってる会社が無い上に高い・・・
ええもう受動的には購入出来ない代物だから、能動的に建築予想図を想像して楽しんでますよ(笑)
 
話が少々脱線しましたが個人的な思いといて(著者の本来の趣旨とは異なるのですが)道端で無料コーヒーを配る行為は、私が求めてる新規事業マーケティングの入り口として活用できるんじゃないか?という発想も生まれました。
そして最近人との繋がりが、子供が生まれてからというもの近所の公園とネット(ブログ)に限定されてきたので、交流的な面で現状を打破したいという思いもあります。
 
という訳で、道端で配るのはちょっとハードルが高いので替わりに花見会場でおもてなしでもしようかな。
おじさんのコーヒーが飲みたい人はメッセージください。
東京でしたらお気に入りちょっと癖があるが美味しいコーヒー『エチオピア産 イルガチェフ地区 ナチュラル製法』をお持ちして、淹れたてのコーヒーをふるまいたいと思うのね!